日本で最初に「便利屋」という仕事を始めた右近勝吉(うこん かつよし)という人がいます。右近さんは、中学2年から高校2年まで、組の事務所に出入りして構成員でした。いつも刃物を身に付け、悪い事とケンカに明け暮れる日々。警察の厄介になることは、ハクをつける勲章でした。
肩で風切る夜の街。けれど、どんなに虚勢を張ってはみても、「街の嫌われ者」である右近少年の胸の内は淋しさで一杯でした。高校の2年生になったある日、その胸の中に電流が走りました。路上で布教のためのパンフレットを配っていたダン牧師が、ニッコリと笑いかけてきたのです。何の気取りも疑いもない笑顔。その温かさが、少年のすさんだ心の芯にしみ込んできました。(ダン牧師の笑顔が見たい)その一心で、教会に通い始めた右近少年。やがて、信仰の決意を固めた少年は、小指を差し出す覚悟で、組に脱会を申し出ます。話を聞いた親分は一言、こう言いました。「よし、分かった。その代わり、ここへは二度と戻ってくるなよ」それから数年、大学を出て、ガソリンスタンド、店員、債権の取立て、様々な職を転々としながら、40歳の手前で始めたのが「便利屋」だったのです。
最初の注文は「ポンプのパッキンを取り替えて」「買い物」「農作業」「ゴミ捨て」「ドブさらい」「猫の死骸の片付け」・・・。「披露宴で自分を振った男の顔をぶん殴って欲しい」という花嫁の注文など。
やがて右近さんは、素晴らしい悟りにたどり着きます。雑用の「雑」という部分にこそ、人間の心のすき間やほころびが見える。「家で一緒にご飯を食べて」というおばあさんは、百万円くれました。「一週間、家に泊まってほしい」という90歳のおじいさんは、話らしい話もなく、何かをしてくれというわけでもなく、「ただ、自分以外の誰かが家の中に居るという気配がうれしいんだ」と、とても喜んでくれました。
「 人はみんな淋しいんだ、温もりが欲しいんだ」と、右近さんは言います。雑用という用を頼むことで、誰かとの関わりを求めている沢山の人々。便利屋の真髄は、笑顔でその人の魂(たましい)に寄り添うこと・・・。これが、右近勝吉(うこん かつよし)さんの信念です。