今日5月11日は、東日本大震災から9年2か月になります。
阪神淡路大震災の心のケアの先駆者で39歳で死去した安克昌精神科医が、被災者が集まる体育館に行き声をかけると「この固い板の上で寝てみろ!」と被災者の叫び。また、ある被災者は「心のケア?。なんだそれ!」。家族を亡くし家をなくし仕事をなくした被災者の素直な声。被災者の「大丈夫です」は、「ギリギリまで頑張っている証拠」と言っていた。また、安克昌医師に相談にきた方の一人は「俺は家が崩壊せずに残った。よかったと思ったが、家や家族をなくした被災者から“なんでお前の家が残るんだ”と嫉妬の嵐に心も身体も病んでいく」と悩みを打ち明けあられた。
私自身も、微力ながら東日本大震災の2か月後被災者のカウンセリングをさせて頂いた時、「カウンセリング!?なんだそれ!それで何か変わるのか!」と叫ぶように言われた。そこで初めて震災の「心の傷」の深さの一片を知った。私は恥ずかしながら「もう逃げて帰りたい」と思った。しかし、次から次へと被災者はやってくる。今思えば支援の本質を学ばさせて頂くきっかけになった。
今日の岩手日報には「大切な人と、今日、話そう」(震災で亡くなられた方の、最後の言葉)。ラジオしか聞こえない時、IBC岩手放送の風見好栄アナの「私たちは微力ではあるが無力ではない!」と静かに しかし力強い言葉にこそ、支援の原点があります。