震災の被災地で自然災害(モンスター台風)が繰り返される。「被災者はやっと新築したのに何回も何回も災害に遭い、なんでこんな目にあわなければならないんでしょう」とやりきれない気持ちと怒りを吐露された。
ある政治家は「予測に比べ、まずまずに収まった」。被災者や被災自治体にとっては、「こんなに現場を知らない人間が、政治の中心にいることに更に落胆し、立ち直る力が萎える」。政治家だけでなく復興にかかわる一部官僚には、災害への当事者意識の欠如と権力者の慢心が透ける。これもまた神戸市の教師のいじめ事件同様、人間の「権力の乱用」と「組織の自浄作用がない」のは、形こそ違っても「神戸市の教員のいじめ事件」と構造は似通っている。
震災被災地は時として後退を強いられながら、心痛めながら復興に歩んできた。困苦を察し、「被災者が立ち上がる力」のひとつは「つながる力・絆・協力・助け愛」だ。コミュニティの再興が必要だが、支援する側が「コミュニティが崩壊」している現実に早くメスをいれなければ、被災者が浮かばれない!