1992年にデビュー。1stシングル「愛があれば大丈夫」を発表後「ロマンスの神様」などのヒット曲で「冬の女王」とも呼ばれ、スキー場などでは必ず耳にしていましたね。広瀬香美さんは10代の頃、音などに対する感受性があることで、いじめられており、電車の中での過呼吸、教室に入ったら「あいつ来た」と聞こえる。悩みを打ち明けても自分が一人前の人間ではないから「ご迷惑でしょう 先生」と当時は「孤独と自信のなさ」に苛まれたそうです。
自信がない広瀬さんを変えたのはアメリカでの初日、突然 街頭で歌ったらアメリカでは誰も降り向かないどころか踊っている人がいる。「日本とは違う。私は私でいいんだ!」と思った瞬間!考え方も価値観も人それぞれ・・
「救う」とは、辛い体験を話し 当時同じような体験をした「人生の先輩」として寄り添うこと。自分のペースで「捉え方を変える」ことで1mmずつ変わったらOK。
「何者でもない自分」「汚い者扱い」「人の感情が入って来て、何とか笑顔にしないと頑張り疲れてしまう」などの投稿に 広瀬さんは ♪どんなに迷っても 泣いても 愛があれば大丈夫♪と話されていました。愛とは「優しさ。寄り添うこと。優しさとは、相手を理解しようとする心」。