40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。いじめを受けた側から「いじめに加担した」自らの心理を見事に射貫いています。(「私の脳の混沌とADHD」より一部抜粋)
いじめに加担した私の心中には、自分が排斥されるのではないかという不安と、いじめられたことへの恨みや鬱屈が溜まっていました。自分も暴力をふるう“自由と権力”を手に入れたいと思いました。また、いじめを一層盛り上げることで仲間に認められたい、喝采(かっさい)されたいという気持ちもありました。注目を集め、承認されたかったのです。それを誰かを踏みつけにすることで手に入れようとしました。
しかし、「あの標的にされていた女の子の怒りと軽蔑のこもった眼差し」は忘れることはできません。私は「人の尊厳に触れ、彼女の気高さと強さ」に打ちのめされました。恥ずかしさのあまり、みっともない言い訳をして謝らずにごまかして逃げました。いじめっ子は強者なんかじゃなく、ただのクズでした。落ちぶれて 初めてそれに気がつきました。歪んでいたのは、いじめに加担した私でした。
「他人の不幸に成り立つ幸せはありません」(瀬戸内寂聴)