「普通である」ってのは、やっぱり「勇気」がいること。いや、実は「普通」というものこそ最も勇気のいる生き方です。精神科医・アルフレッド・アドラーはこんなふうに「普通」を語っています
普通でいる勇気のないものは、すぐ「特別」になろうとする。特別になれないものは、必ず「悪く」なろうとする。彼はそれで、「安直な成功と優越」を手に入れるのである。故に「人より優れていたい」というのも、やはり一種のコンプレックスでそれが叶わないと、すぐに強烈な劣等コンプレックスを持つことになる。 「優越は、必ず劣等を育てる」のだ。
では、一体人はどうしたら「普通」に気づけるのだろう?「スゴい若者」とか「世界のドコに出しても息を飲むような若者が、若者の鏡だ」ではない。今 大切な”普通”は「ありがとう。助かったよ」ではないでしょうか・・
