人間はどんなにボロボロで未熟な状態でも、ありのままを受け入れてくれる誰かがいてくれると、悩み多き人は「ああーこんな情けない、弱い姿の私でもここにいていいんだ。生きていていいんだ」と居場所と存在承認を確かめます。その瞬間は何も解決してないように見えますが、そこには「安心感」が生まれます。
この「安心感」という土壌が満ちてきて初めて、心の中に「自らもう少し頑張ってみうよう」という芽がでます。その人の中に必ずある「種」は安心感の環境から醸成されます。その人の可能性を信じ、その種が自ら成長しようとするえ「力」を援助することが「敬聴」です。「種の持ち主(可能性)」にとことん寄り添うことで、何かが芽を出します。
「敬聴」は最も安心できる居場所があるちいうことを実感していきます。